星野源のエッセイ病
私は、「星野源のエッセイ病」である。
深刻だ。ええ、とても。
もうすでにその症状は顕著に表れている。
どこに現れてるかって?君が今読んでるこの文章だよ、これ。
普段書くのは結構億劫だったりすることから、意外と面倒くさがっていたりするのだけれど、星野源のエッセイを読んだ時だけはどうも違う様だ。
文章を書きたいという欲だけが頭の中を埋め尽くす
ああ!何かこう、人を魅了させるような文章は書けないものだろうか!
そんな簡単に書けたら苦労しないのである。
しかしながら、書きたいという欲ばかりが出てくるのだ。
こういう時、つくづく自分はわがままな人間だなと実感する。
心の中の欲望は、大体それが果たされるまで膨らみ続ける。
実現可能性にかかわらず。
いや、実現しなければしないほど増幅しているのかもしれん。
いいか、この文章に明確な内容などない。
今現在、私吉村遼馬なる人物は、自分の感情の湧き出てきた部分をどうにかキーボードを通じて文字の形にして押さえつけ、吐き出しているところなのだ。
ええい、
ここまで来たら、「星野源のエッセイ病」を楽しんでやろうじゃないか
そうだ、それなら「星野源のエッセイ」の話をしよう
これに関しては、自らの語彙力の不足というものをひしひしと感じさせられる。
彼のエッセイを読んでいると、どうにもこうにも世界に引き込まれ、眼前に動き回る星野源の姿が現れ、そして自分自身も彼の人生の一部に入り込んだような実感に襲われる。
あと、ちょっと中二病的な思考回路になる。
うん、楽しい
だからこそこんな妙に気取った文体で文章を書いているのだ。
これも例の病の重大な症状のひとつといってよい。
もはやこのブログは内容としてはエッセイに近いものになっているだろう。
しかし、計算されたオチも、一貫したテーマも何もない。
深夜の感情大爆発である。
その割には冷静なのだ。 だから、そういう病だといっただろう。
星野源という人に少しでも興味があるのなら、ぜひエッセイを読んでみてほしい。
おすすめは、「蘇る変態」である。
文庫版もあるのだけど、個人的には単行本を買って読んでほしい
理由?まあそのうちな
「星野源のエッセイ病」の症状その2
ある程度書くと落ち着いてくる、そして急激に眠くなってくる。
あ、これは毎度夜中にやってるからか。
でも夜中に読みたいな、
この間も新曲「創造」がリリースされた。
狂うほど聞いた
今ちょっと満腹かも
とか言って、ラジオとか聞いてると又聞きたくなってくるのだ。
星野源は、こだわりの人だ。
僕には到底わからないような細部にまで、とことんこだわりつくす。
そんなこだわりの裏側が、エッセイには記されているような気がするのだ。
まだ読み終わってないんだよ、今。
今ね、「そして生活はつづく」読んでる。
早く続き読もう。
もう3月に入った。2021年もどんどん進んでいく。
さて、今度はいつ書こうか。
自粛を強いられ、とんでもなく暇な人のところに届いてくれたらうれしい。