練習とは

旅行がしたい。

あー、旅行がしたい。

 

しかしながら、緊急事態宣言も出てることですし、どこにもいかれません。

ということで、頭の中にあることをサラッと書いてみようかなと思います。

 

今日のテーマは、「練習」の意義です。

 

練習って、何なのでしょう、というお話ですが、自分は中学校からバレーボールを始めて、それこそ週6-7で練習をずっとしてきたのですけれど、本当の意味ではなかなかれんしゅうできてなかったのでは、みたいなことを考えました。

 

今現在たどり着いた練習、というものの定義は、テストプレイとフィードバックのトライ&エラーの連続、というものでした。

 

例えば20回、あることを求められたとして、必要なのは同じことを20回繰り返すことではなく、20回あれば20回の中で毎度様々な工夫を行い、より高いレベルでの実践を獲得していくということである。

 

反復練習に回数が必要であるというのは、ただ繰り返すのに意味があるというよりは、純粋にトライ&エラーの回数を増やすことで確率を上げていくためのものであるからだ。

 

これに対し、中高時代の自分はあまり練習をしてきたとは言えない。

というのも、練習メニューをこなすことにいっぱいいっぱいだったり、またとにかく回数をこなすことを目標としていたりしていた。

 

大学に入り、バレーをしてしばらくたってからようやく練習というものの真の姿に気づき、考えながら練習をする、というある種当たり前とも思われることをこれまでしてこなかったことを自覚した。

 

バレーボールの経験値自体は部の誰にも負けないほどあると考えていたが、その中で自分の実力不足を感じていたのは、練習をした気になっていた、ということであった、

 

バレーボール部もすでに引退したところではあるが、バレーボールそのものは今後も引き続きやっていきたいと考えているほか、ここで学んだことはバレーボールだけでなく様々なことに生かしていけると考えている。

 

例えば、勉強をしていく中でも、模試や過去問を解いていく中でアップグレードしていくというのはここでいう練習に等しいものである。

 

また、そうして練習というものを定義したときに、指導者の存在というのは非常に重要であると考えた。

というのも、練習の中でのアップグレードには、自分で自分の問題点などに気づき、そのうえでそれを解決していくというステップを踏む以上、自分の発見できていない問題点や短所に関してはアプローチしにくくなっている。そこで第三者の視点を取り入れることで、より客観的な判断を行い、練習の効果を高める、すなわち少ない試行回数で多くの経験を得ることができると考えられる。

 

こうして考えると、指導者には、選手一人一人の問題点や改善点を認識し、そのうえでそれを的確に伝達する能力が必要とされるのだと考えられる。

 

 

こうして考えると、自分はまだまだ発展途上で、バレーボールに関しても、その他のことに関しても常に思考を止めず、常に改善の方法を考え続けることでさらに自己を発展させることができるのではないかと思う。

 

人間の可能性は無限大である。

思考し、試行することで、何にでもなれるのではないかと私は思う。